略年譜
- 1930年3月17日 パリに生まれる
「6時15分なんて生まれた時間が早すぎた。だから僕は生まれた時から疲れていたんだ」と言っていた。 - 1941年11歳頃、義父がアルザス人だったためS.T.O(対独協力強制労働)でドイツに移住
- 1942年12歳から鍛冶職人としてドイツの工場で働く
- 1944年フランスに帰る、オーベルニュ地方チエールで工場につとめる。
独学で鋳物のオブジェを作り始める - 1947年クレルモンフェランに転居。
当地の美術学校入学。朝の5時から13時迄働き、午後美術学校に通う。
初めて彫刻作品でグループ展に参加 - 1950〜53年20〜23歳、石工として働く。
- 1953年両親の住むリヨンに。リヨン美術学校に入学
- 1958・59年フェネオン賞候補、クリティック賞候補、オーソン・フリッツ賞受賞。パリのロマネ画廊と契約。パリ、ローマで個展。街路をテーマに描くクートラスは“現代のユトリロ”と呼ばれた
- 1961年ロマネ画廊との契約を自ら解除。それから7年間、極貧生活が続く
- 1968年ヴェルセル画廊と契約。夜中にカルトの制作をはじめる
- 1970年パリ、ニューヨーク等で年、数回の個展
- 1972年年数回の個展で疲れ果て、ヴェルセルとの契約解除 グリモー(Grimaud)というトランプなどを制作する会社のコンクールに応募し、最優秀賞を獲得。(年数不明)
- 1975年パリのORTEMP画廊で最初のカルト作品展
- 1976年ラジオで耳にしたコリンダ(Kolinda)というハンガリーのグループの音楽に魅せられレコードジャケットを作りたいと申し出、実現。販売用のポスターはその美しさゆえ、盗まれて一晩で、パリの街から消えてしまった。
- 1977年ヴェルサンジェトリクス街のアトリエで、ルイ・キリシらとともに3人展
- 1982年東京のギャラリー上田でグアッシュとカルトの個展
- 1985年パリで逝去。ペールラシェーズ墓地に埋葬
- 1986年 パリのギャラリーEssaiで、回顧展
- 2003・2004・2009年東京のギャラリー無境で個展